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2006年9月22日 (金)

「新・平家物語」 1955年

Heikemonogatari 監督:溝口健二 、原作:吉川英治

出演:市川雷蔵 (平清盛) 、大矢市次郎 (平忠盛)、久我美子 (時子) 、木暮実千代 (泰子)

吉川英治の原作になる「新・平家物語」の映画化である。ただし一時間五十分のこの映画では清盛の初陣から父忠盛の死までのわずかな期間のみが描かれる。

重要な年号

1129年 平忠盛、山陽、南海道の海賊を討伐。鳥羽上皇の院政が始まる。

1132年 平忠盛、内昇殿を許される。

1146年 平清盛、安芸守となる。

1156年 保元の乱

1158年 後白河上皇の院政始まる。

1159年 平治の乱

1167年 平清盛、太政大臣となる。

2006年9月16日 (土)

『空海の風景』 司馬遼太郎 中央公論社

Kuukai

「この稿は小説であるから・・・」作中で司馬遼太郎自身がこう語らねばならぬほどに、この物語は小説の体をなしていない。

事前に綿密に資料を収集する作風の司馬は古い時代を扱うのが苦手なのだろう。『空海の風景』は司馬作品の中で唯一平安時代を扱ったものだ。

小説ではなくて評伝であると考えれは良いのかも知れないが、すべての台詞に「・・・といったかもしれない」「・・・といったかどうか」「といったに違いない」といった言葉がついているのはなんとも煩わしい。自信のなさげな細部に比べて空海の空白期間に関する想像はずいぶんと大胆である。この本では空海が性欲にどう対処したがに関して多くの頁が費やされているのだがが、性欲に関する司馬の推測は以下のようなものなのだ。

I、歴史上偉大な業績を残した人はみな性欲も強い。Ⅱ、空海も性欲を抑え切れなかったに違いない。Ⅲ、だから空海は仏教のなかで必ずしも性欲を否定しない密教を選んだのだ。

そっそんな単純な・・・・と私でも思う。

完成された小説というよりも小説執筆のための構想手帳のような本書が、それでも十分楽しめるのは、空海という人物の日本人離れした人間性によるところが大きいだろう。

平安新仏教の二人の開祖、空海と最澄の対比がこの物語の中心をなす。

真面目な秀才で謙虚な性格だが、どこか杓子定規で役人然とした最澄。密教においても書においても天才的な能力を発揮し、それを自賛することを憚らない空海。

日本人としては、空海に憧れつつ、むしろ最澄に共感を覚える人も多いのではないだろうか?

重要な年号

781 桓武天皇即位。

784 長岡京遷都。

794 平安京遷都。

804  最澄と空海が唐に渡る。

805  最澄(伝教大師)が唐より帰り、天台宗を伝える。

806  空海(弘法大師)が唐より帰り、真言宗を伝える。

809 嵯峨天皇即位。

810 薬子の変。

823 淳和天皇即位。

835 空海入定。

2006年8月 3日 (木)

『天平の甍』 井上靖 昭和32年 新潮文庫

Tosyodaiji 遣唐使によって唐に渡った日本の留学僧たちの物語である。とくに唐の名僧鑒真(鑑真がんじん)の来朝に力を尽くした普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)という二人の僧が話の中心となっている。この小説では鑒真来朝へいたる苦難の道のりが有名であるが、留学僧という立場の人間がどのような道をとるべきかという点も大きな主題だ。

遣唐使の船に乗る留学生に選ばれるというだけで大変な栄誉である。唐で学び帰国した彼らは生粋のエリート僧として日本の仏教界で指導的役割を果たすはすだ。

唐に渡った普照と栄叡は、秀才留学生として名高く日本に帰って政治の中枢を担うことになる僧玄昉(げんぼう)や吉備真備(きびのまきび)等と会う。その一方であまりうだつのあがらない留学僧とも知り合う。

その一人に業行(ぎょうこう)という留学僧がいた。彼は唐に来て二十数年になるが、現在は方々の寺から借りてきた経典の写経をひたすら行っている。

業行は言う。自分が一生懸命勉強したところでたいしたものにはならない、それより時間が許す限り写経をしてそれを日本に持ち帰ったほうがはるかに有益である、と。

自分の才覚と努力で成果を上げ世に認められることよりも、自らを人間コピー機として駆使するほうが良い、そう彼は判断したのだ。これは一つの合理主義的選択であるがまた勇気のある決断である。

そして、普照と栄叡も自分の功績を積むことよりも、正式な戒律を日本に伝えるために唐の高僧を日本に招聘することに自らの使命を見出していくのである。

情熱と使命の物語。私にはそう読めた。

そして、人間の思いとは関係なく時間が無表情に流れていく。そのような歴史の流れの中での彼ら留学僧たちの物語はあるいは運命という言葉がふさわしいのかも知れない。

本書の題名は、唐招提寺の屋根の鴟尾(しび、お城の屋根のシャチホコにあたる部分)が唐から普照に宛てて送られてきたものである、という設定による。唐招提寺金堂の西方の鴟尾がこれにあたるのだそうだ。

以前奈良を旅行したときには唐招提寺は改修工事中で見学できなかったが、平成20年に工事が終了する予定である。また奈良を訪ねるのが楽しみになりそうだ。

<時代>

西暦733年~754年 第10回遣唐使から第12回遣唐使まで

<主な登場人物>

鑒真(鑑真)、留学僧(普照、栄叡など)、吉備真備、玄昉、阿倍仲麻呂、唐の玄宗皇帝

<重要な年号>

724年:聖武天皇即位

729年:長屋王の変

733年:第10回遣唐使派遣(多治比広成、中臣名代、平群広成大伴古麻呂)

740年:藤原広嗣の乱

741年:国分寺建立の詔

743年:大仏建立の詔

746年:第11回遣唐使→派遣中止

749年:孝謙天皇即位

752年:第12回遣唐使派遣(藤原清河(大使)吉備真備(副使)、大伴古麻呂(副使))

752東大寺大仏開眼供養

754年:第12回遣唐使帰還、鑑真来朝

757年:養老律令施行、橘奈良麻呂の乱

759年:唐招提寺建立

763年:鑑真入寂

764年:藤原仲麻呂の乱

2006年8月 1日 (火)

『日出処の天子』 山岸凉子 白泉社

Tenshi おおむね時代順に歴史小説を読んで行きたいと思っているのだが、古代を扱った歴史小説はあまり多くない。そこで今回読んだのは、山岸凉子の『日出処の天子(ひいずるところのてんし)』である。
歴史小説倶楽部といっておきながら初回が漫画ではしょうがないと思われるかもしれないが、まあ有名な漫画だということでご勘弁を。

これを最初に読んだのはたぶん高校生のときだ。白泉社の「LaLa」に連載されていたのだが、私はもちろん単行本で読んだ(笑)。
この漫画がすごいのは、概ね史実に沿った物語を背景にした歴史漫画でありながら、聖徳太子に関しては超能力(あるいは天才性)と同性愛という耽美系少女マンガの2大ターボチャージャーを搭載している点である。
それが山岸凉子の限りなく繊細な線で描かれると、恐ろしいぐらいの迫力を持つ。
権力闘争と恋愛というドラマチックな物語であるが、漫画全体に漂うのは例えようもない孤独と疎外感である。
非常に異色でマンガあるが少女マンガのツボはしっかり押さえている。やっぱり名作なんあだなと思います。

<扱っている年代>
西暦580-590年代 聖徳太子の10歳ぐらいから摂政になるまで
<主な登場人物>
厩戸皇子(聖徳太子)、蘇我毛人(蝦夷)、蘇我馬子、額田部皇女(推古天皇)
<重要な年号>
585年:用明天皇即位
587年:蘇我馬子と物部守屋の戦、崇峻天皇即位
592年:崇峻天皇暗殺、推古天皇即位
593年:聖徳太子摂政となる
600年:遣隋使派遣

歴史小説倶楽部

先日TVで、ご当地検定がたくさん出来ているとの報道があった。全国の観光地と名がつくところの多くがご当地検定の準備を進めているのだそうな。
考えてみると、お金をかけずに地域振興を図るためには、何十億円もかけてヘンチクリンなモニュメントを作るより検定をするほうがずっとよいと思う。

そういうわけで?(^_^.)、今年十二月の歴史検定(日本史)の準備として歴史小説でも読んでみようかと思っている。
実は私は小説の類をあまり読まない。楽しみで本を読むというよりは必要に迫られて読書をするタイプだ。しかし、司馬遼太郎や、吉川英治、吉村昭などは日本人(特に中年以降の男性)に共通の教養書となってしまった感もあり、読んでみるのも悪くないかなと思ったのだ。

歴史の勉強の副読本として小説を読むのには少し注意がいると思う。
まず、小説はあくまでフィクションであり、創作の部分が多く入り込んでいるということ。
そして現代の小説は結局のところ現代人が読んで面白く感じるように作られているということだ。
そこが純粋な古典文学と違う部分だ。
昔の人と今の私達とは同じ日本人でも社会、生活文化、思考様式、感情などあらゆる面で違いがあり、おおむね時代が遡るほどその齟齬は大きくなるはずだ。現代人が楽しむ物語を作るためには登場人物をあるていど「現代人化」しなければならない。
但し、そのことを頭に入れておけば、記憶を定着させるために小説を読むのは役に立つことだと思う。
古代から現代に向かって順番に歴史小説を読んでいくつもりだが、時間の制約もあり長編は避けていこうと思っている。

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